■留学までの経緯
◎留学を志したきっかけは?
私は愛媛県立松山東高等学校普通科から芸大に進学しました。学部1年の頃は愛媛から東京に進学することでさえ遠いことであり、東京に住むまでは留学のことなど思いもしていなかったのですが、芸大で学ぶようになり、先輩方とのコミュニケーションの機会が増えるにつれ、人の輪も時間も考え方も「音楽」が日常の軸となりました。
そして、様々な専門的状況を知るうちに、自分もいつかは留学……と潜在的に思うようになっていきました。改めて、周りの環境がその人に及ぼす影響力は大きいと感じています。
◎留学前に短期研修、講習会に行きましたか?
同級生のピアノ専攻の友達は早い時期(大学入学前)から海外の講習会に行っているようでしたが、私は2008年、大学院1年の夏に初めて講習会のために渡独しました。
上述したように、「留学する」と思いこんでいたものの、普通校出身の私にとって芸大での生活は学ぶことが思いのほか多く大変で、学部の頃は目の前にある課題をクリアすることに集中し、留学の余裕はありませんでした。そのため、大学院へ入学後に留学しようと心に決めていました。

その講習会は先輩の推薦があったからというわけでも、習ってみたい先生がいる等の理由があったわけでもなく、自分でインターネット検索して探し当て、費用と時期とドイツであること(昔から仏語がどうしても肌に合わないと感じており、ドイツ語の響きが好きだったから)、またあまり日本人が行っていない講習会をと思い、今となってはよくやったなぁと思うほど、自分の勘を信じて「とりあえず行ってみなければ分からない!」という気持ちで参加を決めました。

現在はその講習会も大きくなり、コンクールも行われていますが、私が参加した時はもう少し規模が小さく、受講生みんなと2週間寮で過ごした初めてのドイツ生活と国際的な友達との触れ合いは、かけがえのない時間となりました。小心者の私は出発の日、緊張のあまり成田行きスカイライナーで気分が悪くなってしまったことも今となっては良い思い出です。この講習会の経験こそ、ミュンヘン留学への第一歩になったと確信しています。
◎本格的に留学を準備し始めたのはいつですか?
2008年の講習会で3人の先生のレッスンを受けた際、どの先生も素晴らしいと思いましたが、どうしてもこの先生に師事したいというところまではいかずに終わり、再び芸大の生活に戻りました。私は大学院から角野裕先生の門下生に変わったのですが、先生の音楽性やレッスンが本当に素晴らしく、先生の音楽に惹きこまれていきました。
新しい先生に師事し理解できるには2年かかるといわれますが、惹きこまれて1年半頃、もっともっと先生の元で学びたいと思う反面、留学のことも頭にありました。そこで修士課程に3年間在籍することとし、3年目の後期から2年間休学して留学、そして復学して半年で芸大を修了するという計画を立てました。
そこから逆算して、留学への準備を行動に移しました。2010年10月から留学するためには、5・6月の入試を受けなければならない。そのためには早く留学先を決めなければ、そのためには習いたい先生を探さなければ、という具合です。そこで私は「先生探しの旅」に再び渡独することにしました。本当はヨーロッパの先生が日本の講習会のために来日された際に、日本でレッスンを受ける形が一番簡単で時間も費用もかからないのですが、その時点で習いたい先生に出会っていなかった私は、これ以上日本で待っていてもしょうがないと奮起し、旅立つことにしたのです。

これが相当大変でした。先輩方の先生や、良さそうな音大をピックアップし、全ての先生を調べ、その先生のCDを探し聴き、HPを見たり、門下生を探したりしました。
そして何人かに絞って直接メールを送りました。アドレスが分からない場合は、その先生の生徒を探し、その方にメールで伺うこともありました。そのようにして数人の先生とやり取りをし、レッスン予約をし、全てが違う都市ですので日程も自分で決め、移動日なども調整してまるで旅行会社の社員みたいに飛行機などの手配をし、2010年1月10日に再び機上の人となったのです。

面白いことに、留学先の師であるゲルハルド・オピッツ先生にはこの時連絡を取っておらず、ミュンヘン音大を視野に入れていたので気にはなっていたものの、忙しくてレッスンが少ないという噂から諦めていました。

ドイツの4都市を回り、最後にミュンヘンへ。まだこの時は他の先生のレッスンを受けるつもりでいましたが、丁度その時すでにミュンヘンにいる日本人の友達がオピッツ先生のレッスン日だったので、ぜひ私もレッスンを見たい、そして可能なら演奏も聴いて欲しいと伝えました。すると運良くOKを頂き、レッスン室のソファに座って見学させていただきました。
レッスンが始まってまもなく、その友達が手を痛めていて20分程で終ってしまい、談笑が始まるかと思いきや、オピッツ先生が私にどうぞと手を差し出しました。
指慣らしもしていない、弾くとも思っていない、凍える真冬にましてや世界的ピアニストのオピッツ先生と友達がソファに座ってこちらを見ている中での演奏はそれはもう緊張しましたが、その偶然のような運命のようなことがあって、今の私が在ります。

演奏の後、オピッツ先生はレッスンをしてくださり(もちろん無料)、その後で私は10月からあなたの生徒になりたいと伝えました。もう新しい生徒は取らないから無理と却下されましたが、食い下がってお願いすると「どうして僕がいいの?」と質問され、「世界で活躍するピアニストのあなたからピアノはもちろん、生活や価値観、感覚を学びたい」と答えました。
けれども、「今は受け入れるかどうか言えない、6月の入試を受けて合格したら考える(合格しても無理かもしれない)」との返事でした。
この瞬間から、6月末の入試に向けた本格的な準備が始まりました。忘れられないように、帰国してからオピッツ先生へ自分の想いを手紙に書き送ったりもしました。

留学の時期・決め方・やり方、全ては人それぞれの方法で進んでいきます。順調な友人と自分を比べて、羨ましく思ってしまったり、雲を掴んでいるようで不安で仕方がない時も多々ありましたが、ある先輩から言われた「歯車がカチっと合う場所とタイミングはみんなに必ずある」という言葉を噛みしめながらの旅となりました。
■留学の準備
◎出願手続きや入試の内容はどのようなものでしたか?
ミュンヘン音大のHPはドイツ語のみですので、入試情報を得るには苦労しました。すでにミュンヘン音大に在籍している知り合いに教えてもらったり、語学学校で聞いたりしました。また、(合格後にビザのための)必要書類を揃えるにも時間を要し、ドイツ大使館に何度も行ったり、翻訳家の方に公式書類の翻訳を頼んだりしました。
私は大学院(Meisterklasse)を受験したので実技だけの試験でした。
全部で80分位のプログラムで、事前に聞いて知っていたので驚きませんでしたが、受験日の朝受付をした順に弾きます。私は午前の最後の方に弾きたいと思っていたので、大体で並んだら丁度午前の最後に当たりラッキーでした。一人ずれると休憩のために2時間後になってしまいます。試験本番の時間も決まっていないので、自分で「そろそろかな?」と予想してホールに行きます。誰も呼びには来ません。私の場合、早めに人数分の時間計算をしてホールに向かうと入口にオピッツ先生が立っているではありませんか。どうも試験は予定より早く進んでいたみたいで、入試で先生方を待たせてしまいました。日本では考えられません。
そんな中でもフレンドリーに「何から弾きたい?」と質問され、私はハイドンから弾きました。どの曲も途中で切られますが、私は他の人より長く30分ほど弾いたと思います。ドイツでは試験が終わると比較的すぐに先生から合否を聞ける場合が多いようですが、私の場合はオピッツ先生の口が堅いのでまだ言えないと言われ、5日後に「ミュンヘンで本当に勉強したい?(ジョーク)」と電話を頂いたときは本当に嬉しかったです。その後、大学からの正式な書類を事務所に取りに行きました。
◎語学の学習法は?
合格と分かってから、予定していた帰国便を友達の勧めで延期し、2週間ミュンヘンの語学学校に通いました。芸大でもドイツ語初級、受験前には東京の語学学校に少し通っていたのですが、現地に来てみると私のドイツ語力はゼロに近いものでした。そこで1からやり直し、たった2週間なので限りはありましたが、 ドイツ語をドイツ語で習うという環境にもここで慣らすことができたと思います。
10月にミュンヘンへ引越ししてからは、英語とドイツ語の半々の生活。最初はオピッツ先生のレッスン、ドイツに慣れること、とにかく異国で生きることに必死だったので語学学校には行かずに過ごしていましたが、半年経った2011年3月、自分の中の見えないストレスに悩まされ、それが語学と分かった時にミュンヘンで新しい語学学校を探し、いくつか体験入学をし、相性の良かったところへ毎日通い始めました。語学学校は国際的ですし友達もできやすく、また、ピアノ実技だけの毎日だった私にとっては授業も気分転換になり良かったと思います。結局、3か月半の間、平日の午前中は毎日通いましたが、入れ替わりの激しい語学学校の級友は今でもfacebookでつながっており、世界の様々な場所に友達がいることは私の宝物です。
◎奨学金は?
私は日本の機関から奨学金を頂いていなかったので、留学1年目は全くの自費で生活をしていました。申し込みをしたこともあったのですが、その当時大きなコンクールの賞歴がなかったため、厳しかった面もあったと思います。しかし、留学2年目からは先生の推薦でミュンヘン楽友協会のオーディションを受けることになり、無事に奨学生に選抜され、毎月幾らか頂くことができました。また、1年次の試験結果によって、2年目の学費を免除されました。奨学金を頂けることは金銭的にも有難いことですが、それ以上にドイツで認められた気がしてとても嬉しかったです。
■留学中
◎現地での生活はどうでしたか?
この質問に答えるためには本一冊分くらい書かなければなりません(笑)
ですので、ここでは主要な事柄をピックアップして書いていこうと思います。

こうして完全帰国を経て東京でこの原稿を書いている今、東京とミュンヘンは空気感がまるで違うため、自分がミュンヘンに住んでいた時間がはるか遠い過去のようにも感じます。
どちらが良いということではなく、それぞれに良い部分があってその良い点が違うのです。
私は寮に住んでいましたが、それでもどうしてか寂しいと感じることが本当に多かったように思います。「世界は小さいけど遠い」これは私がよく思っていたことです。
ここ最近は数十年前を考えると信じられないほど航空料金も安くなり、便利になり、インターネットの普及のおかげで、9,000キロ離れている日本ドイツ間でも無料テレビ電話をすることができるようになりました。これは本当にすごいことです。スカイプ無しでの留学生活は考えられません。

しかし、そんな状況でもやはり「遠い」のです。世界中どこへでも飛行機で飛び回れどんどん小さくなっていく地球。だけどPCから聞こえてくる話相手に触れることができない葛藤や、大地震のあの日も、PCから目に入ってくる映像と、のどかで青い空が広がるミュンヘンとのギャップに、やはり「遠さ」を感じたのでした(全然距離なんて感じないという留学友達もいたので、この感覚は個人差があります)。

寮では一番の仲良しのクリスティナと一緒に住んでおり(キッチンとバスのみ共同)、彼女に何度となく助けられ本当に有難く感じていました。一緒にご飯を食べたり、遊びに行ったり、なにかと大変な手続き関係のことやピアノのことも、いつも相談にのってもらいました。
留学して1年目は一生懸命全てのことをこなしているものの、どこか地に足がついていない様な感覚でしたが、2年目からは落ち着いていたように思います。
ただ、それと同時に体調も大きく変化し体力も落ち、よく風邪を引くようになりました。2年間で病院に行ったのは2回。1度目は喉が痛くて水が飲めなくなってしまったため日本語が堪能なドイツ人の友達と、2回目はコンクール前に胃が手で絞られるような感覚に油汗が出てきたので一人で駆け込みました。ドイツ語で体調の辛さを説明するのは難しかったのですが、どちらのお医者様も(白衣は着ていない)とてもフレンドリーで優しかったです。
体調不良の自分を変えるため、体力をつけようと2年目からはプールに通い泳ぎました。調べるとミュンヘンには市民プールがいくつもあり、市民の皆さんもよく利用しているようです。一番驚いたのは、更衣室が男女分かれていないこと。ロッカーがあって各自それぞれ荷物を入れ、着替える時はそのロッカールームにいくつかあるフィッティングルームのようなところに個人で入り着替えます。

また、プール以外にも私はエアロビクス(ボディースタイリング等、音楽に合わせて体を動かす)のコースにも入りました。これが、学生は半年7ユーロなのです。
ミュンヘンにはスポーツ大学というシステムがあり、ミュンヘンオリンピックの跡地で、様々なスポーツのプログラムが組まれています。バスケやロッククライミング、ダンス、カーレース、何でもありです。主に学生が参加していますが、もちろん社会人も運動しています。広い体育館、金髪のドイツ人の中にぽつんと私がいて、鏡で見た時に自分の黒髪に驚くこともしばしばありましたが、心地よい汗をかけて最高でした。
また、体調が変わった大きな理由の一つに食事の変化があったと思います。ドイツの食事は主に冷たいパンとお肉とジャガイモなので、私は毎日自炊していました。それでも、お水は硬水、日本では毎日食べていた豆腐や納豆、実家では絶対毎日食べるお魚などがないので、体調変化も当然といえば当然ですね。

素晴らしいことにミュンヘンは大都市なので、日本料理屋さんも多く、日本食材店もあります。値段が高いため(例えばカップラーメン6ユーロ/個)留学当初は我慢していましたが、2年目からは冷凍納豆やお豆腐(海外のもの)はきちんと買うようにしました。また、新鮮なお魚を海のないドイツに望むことはナンセンスなので、唯一よく手に入るサーモンを食べるようにしていました。
もちろん、日本に一時帰国する度にトランクいっぱい日本食を詰めてドイツへ戻っていたことは言うまでもありません。
また、海外で髪を切ると、あらら……という状態になるということもよく聞いていましたが、ミュンヘンには日本人美容師さんがいらっしゃるサロンがあります。どうしても髪を切りたくなって思い切って予約すると、日本と変わらないサービスがそこにはありました。ドイツで活躍されている某サッカー選手もいらしているみたいです。
◎学校での生活はどうでしたか?
オピッツ先生はレッスンが少ないと聞いていましたが、全くそのようなことはなく、毎回のレッスンに準備する曲が間に合わないほどきちんとありました。
もちろん、先生が演奏旅行中はありませんが、その間に新しい曲を準備しておかなければならないのでお休みなどありません。また、彼は天才なので練習しません。ですので、夜の便で中国の演奏ツアーに行くという日でも、レッスンを頼むと引き受けてくださいました。
とにかくミュンヘンではピアノ中心の生活でした。良くも悪くもピアノしかやることがないのです。ピアノを学びに留学しているのでそれで良いのですが、人は感情がある生き物なので煮詰まったり凹むことがあったら気分転換したくなる時はありました。美味しいものを食べたら気分が晴れる人、一日寝たら回復する人、
気分転換の方法は人それぞれですが、日本のようにアミューズメントもショッピングもカラオケなども少ないので(学生は夜にクラブに行くのが流行っているみたいでした)、海外での自分に合った気分転換の方法を知っておくことは海外生活のキーワードの一つかもしれません。
シュテュットガルトで活躍されていたサッカー選手の岡崎慎司選手がTV番組でストレス発散の場がないとおっしゃっていて、一流の選手でもそう思うのだと思った記憶があります。
練習は東京にいる時と同じくらいしていました。本番前は一日中。
私は自分の部屋にグランドピアノを買って置いていたので、学校にあるスタンウェイのピアノか家で練習していました。
家にあるピアノは、留学した時に中古を探して買ったものです。レンタルで借りている友達もいましたが、私は最初に買って完全帰国の時に売却しようと考えていたのでレンタルはしませんでした。

このピアノ購入が移住1週間にして大きな壁となりました。中古は望んでも在庫がないと買えないので、ミュンヘン内のピアノ屋さんを回って探しました。 大学にある掲示板も見ましたがなかなか見つからず、ようやく郊外のピアノ屋さんでピアノを売りたいと言っている女性がいるとの情報を得て、次の日にはその方のお宅へ試弾に伺いました。試弾して気に入ったので、値段交渉。そして買う意思を伝えて帰った次の日、彼女から○日にピアノ運送が来て届くからそれまでに入金してとのメールがきました。その時すでに交渉で決まったピアノ代を両親に日本から送金してもらうように連絡済みでしたが、国際送金のためピアノ受け取りの日に間に合いません。そのことを伝えると彼女は少しヒステリックになってしまい、彼女から受けたストレスは外国の地で大きな負担になってしまいました。結局、その時点でドイツ銀行に入っていた金額を前払いとして支払い、日本からお金が届いたら残りをお支払するということになったのですが、一件落着と思った矢先、次はピアノが運ばれてきたその日に、私の家にピアノを運んできたピアノ運送の作業が雑で、ピアノの中のハンマーが一つ壊れてしまいました。
私の過失ではないし、これを誰が保障するのか、また私は頭金を支払っているが完全な状態に戻らないのなら購入しない、などの事後処理が私にとってとてつもなく大変なものとなりましたが、日本にいた知人に英語での正式なメールを作ってもらい、ピアノ屋さんと売り主の女性に現状と私の意思をメールで一斉送信し、ピアノ屋さんがピアノを直しに来ることでやっと解決したのです。
ドイツ語も話せず英語も完璧ではないのに、ピアノ探しから全て一人だったので、あの当時の私には荷が重かったな。
◎コンクールは受けましたか?
留学をしたらいつかは国際コンクールを受けたいと思っていました。しかし、やはり私にとって最初の1年弱はコンクールに出場するほどミュンヘンでの生活に余裕はなかったので、2年目からチャレンジしました。
初めての国際コンクールはラフマニノフ国際コンクール。残念ながらこの時はファイナルに残れませんでしたが、初参加のこのコンクールで俗にコンクール荒らし(コンクールの賞金で生活をしている人)といわれる人と出会い、国際コンクールのレベルも知ることができ、刺激的でとても勉強になりました。
日本国内で受けるコンクールはほぼ全員日本人。国際コンクールには人種も宗教も何から何まで違う世界で生きている人が同じ条件で競い合うわけですから、本当にすごいことです。

奥さんが妊娠中で離れたくないから一緒に来る人や、指導者と結婚して世界中のコンクールを旅している有名な彼、クマみたいに大きな人や、練習部屋の取り合いでコンクール前に喧嘩している人など、本当に様々な人がいました。

ラフマニノフ国際コンクールで思い出に残っていることの一つに、2位を取ったロシアの友達との出会いがあります。彼女も受けてないコンクールはないのではないかというくらいの常連さんで、たまたま電車が一緒で待ち合わせ場所から会場への同じ車に乗ったので仲良くなりました。私より若く185cm。 彼女の二次審査が終わり会いに行くと茫然と座っていて、その姿からただ事ではないと察しましたが、その後聞いてみると旦那さんが亡くなったということでした。ロシア人はとても結婚が早く、彼女もすでに2回目の結婚とのこと。小さい頃、ピアノ教師である厳しい母親にピアノを徹底的に叩き込まれ、高校入学の時に、今後はお金を出せないから自分で生活しなさいと放り出されたそうです。モスクワ郊外で人に囲まれ怖い思いをしたことや、ロシアで生活できないからコンクールで賞金をもらうこと、夫には別に恋人がいて、彼女からメールで知らせが来たことなどを話してくれました。
その時、幼いころからこのような世界で生きてきている彼女と、私を含め日本に住んでいる友達などの生活環境のギャップを初めて肌で感じました。そして、どんなに経験や背景が違った世界で生きていても、同じ舞台で自分の感じる音楽を表現し審査されることへの凄みと覚悟を噛みしめました。
様々な経験が音楽を変えることもあるけれど、だからと言って「苦労」をしていることがいつもプラスかどうかも分からない。10人弾けば10通りになることが音楽の素晴らしいところ。
嬉しい気持ち・悲しい気持ち、人間の様々な感情を音楽にぶつけ、自分の得意とするカラーで、音楽を表現することの大切さを感じました。
コンクールはインターネットで探します。コンクールに申し込み、出場が確定すると航空券を買いホテルを予約し、会場までの行き方をネットで調べます。
だんだんと要領が分かってくればまだ良いのですが、初めての国や遅延の多いイタリアなどは大変でした。空港から中央駅への行き方、中央駅からの乗り換えはその国の乗り換えサイトで予め調べてから出発します。

イタリアでのコンクールを終えて帰宅途中、空港に向かっている電車がレールの上で止まり大幅に遅延したことがありました。その電車がようやく駅まで着いた時は、その駅から空港まで電車を使うと完全に飛行機に乗り遅れてしまうという時間。そこで、タクシーで向かおうとしたのですがタクシー代がとても高い。
私は日本人だから高く言われていると思ったので、同じ遅延電車に乗っていた方(すでに電車の中で話していた)にイタリア語で空港までの料金をきいてもらいました。すると、やはりその金額。私はその時すでに電車チケットと航空券を買っていたため現金をあまり持っておらず、お金が足りないというハプニングに見舞われました。ATMで現金を出そうか迷っていたら、その方とその友達が名前も知らない私に「いくら足りないの?」質問して下さって、足りない金額を皆さんで出し合い私に渡してくださいました。そんなことがあるなんて予想もしなかった私は、本当に感動しました。イタリアの知らない土地で初めて会った私に「気を付けてミュンヘンに帰ってね!」とハグしてくださり、無事にタクシーで空港にたどり着けました。人の優しさを感じた時あたたかい気持ちになるのは万国共通。私も困っている人がいたら何か力になりたいと強く思った出来事でした。
◎ドイツ滞在中に旅行はしましたか?
コンクールで様々な土地に行った帰りに観光地を回りました。コンクール後なのでタイミングよくコンクールで知り合った友達と「一緒に行こう!」と約束できたら良いのですが、いつもそうはいかず、せっかくの観光地を一人で回ることも多かったです。世界遺産などを見て感動してもその気持ちを言葉ですぐに伝えられないことが唯一残念だと思っていましたが、それでも心から幸せだと感じる瞬間が旅行には沢山ありました。
「ヨーロッパに住んでいるのだから今のうちにいっておかなきゃ!」と思い、コンクールとは関係なく純粋に旅をしたのは、ロンドン・パリ・ウィーン・バルセロナです。
本当に素敵な思い出。この時ばかりは日本で頑張っている家族を置いて私だけ観光できて申し訳ないな、一緒に行きたいなといつも思っていました。
また、ザルツブルグのモーツァルテウム音楽大学で行われるサマーアカデミーに毎夏参加していたので、オーストリアのザルツブルグにはよく行きました。
ミュンヘンからザルツブルグは1時間半ほどです。
◎住んでみて分かったドイツの良さは?
沢山ありますが、まず日曜日はスーパーやお店が休みなことと、プファンド制度を上げたいと思います。初めは日曜日にお店が閉まるなんてとても不便と思っていましたが、慣れると全く問題なく、市民みんなが休めるのでとても良いと思います。日本は24時間営業のコンビニエンスストアに象徴されるように眠らない街が多いので、そんな日もあっていいと思いました。
また、プファンドというのはペットボトルにお金がかかる制度です。例えばペットボトルのコカ・コーラを買うと、コーラ代が1.1ユーロ、それにペットボトル代20セントがかかりますから合計1.3ユーロになります。
ただ、飲み終えたペットボトルをスーパーの回収機に戻すと、20セント分のレシートが発行され、それをそのまま次回の買い物にお金として使うことができます。瓶もそうです。このことによって、市民はきちんと回収機に空きビンやボトルを戻し、回収されたペットボトルは再利用され環境にとても優しいのです。
ドイツは数年後の原子力完全放棄が決まっていますし、環境への意識がとても高い国です。

もう一つ、ドイツで飼われている犬は本当にきちんとしつけがされているため、レストランやお店、電車にも一緒に入ります。どの家庭でも子犬の時にしつけに預けるそうです。道も家も人も大きいドイツ、犬ももちろん大型犬がとても多いです。
◎留学中に困ったこと
私はドイツとイタリアで2度、扉が開かなくなって閉じ込められたことがあります。建物も古いですし、建付けが悪い所があるので、可能な限り色々なことに注意を払っていたにも関わらず(扉は壊れていないか、周囲に何があるか、今周りにどんな方がいるか等)、2度目もすっとドアが閉まってしまい、ドアノブ(日本にはない形)が回らず怖い思いをしました。全てではないですが、ヨーロッパには日本よりも適当だと感じる部分もあります。日本では当たり前、大丈夫と思っていることでも周りの様子や状況をいつもしっかりと把握し、扉以外にも食べ物や乗り物など「危ないかも……」と思った際にはやめておく、他の機会にする、中止という決断も大事だと思います。
◎留学中に得たこと
ドイツは交渉社会です。あの人がこうだったから私もそうしてもらえるだろうとか、決まりがあるから無理だとか、思い込みは断ち切り交渉次第で道は切り開いていけると思います。例えば寮の手続きも、待ち人リストに何十人もいるにもかかわらず、退出する人と引き継ぎを交渉すれば入居できました。
また、私は大学院を終えてまだミュンヘンで勉強したかったため、Gaststudent(授業聴講生)にもなることができました。Gaststudentになるためにはどうすればよいかとオピッツ先生に聞くと、不可能だと思うとお返事、また以前に手紙で聴講生の申し込みをした友達の話を聞いたりしましたが、結局色々な人が違う意見を持っていて真実がよく見えませんでした。そこで私は副学長の秘書にアポイントを取り、私をGaststudentにしてほしいと直接相談に行きました。
その結果、今まで悩んでいたことがウソのような副学長の笑顔でOKサインを頂き、改めて交渉こそここドイツでは自分で人生を作っていく術だと感じました。
もちろん期間も自分の希望を伝えて交渉で決めます。

一緒に住んでいたドイツ人の友達も、ドイツでは直接会って話さないと!と言っていたので本当なのだと思っています。さらに、ドイツ人は理由をあまり聞きたがりません。例えば「病気だったから来られなかった」ということが言いたい場合、日本人の私は病名や症状、その辛さまで説明したくなりますが、ドイツ人はまず詳しくは聞きません。簡潔です。明瞭にポイントのみ話すと、交渉がうまくいくと思います。
■留学を終えて
◎将来の展望(留学経験を踏まえて)
留学中は日本にいるときに比べられないほど、本番を多く踏むことができました。それは、日本に比べてクラシックを聴く人が多く、クラシック音楽が生活の中に入り込んでいるからです。そのため、必然的にクラシックコンサートが多く開催されますし、大学でも入場無料の学生コンサートが毎日行われていました。
ミュンヘン音大には演奏したい学生が自ら事務所に申し込みをして演奏の機会を得ることができるシステムが確立されています。全てに出演できるわけではないのですが大学院生以上限定のコンサートだったり、門下別だったり、自分のやる気次第で本番を作れるのです。
100回練習するより1度の本番で得られることがあると、音楽家なら誰しも実感したことがあると思います。その点で本当に成長できたと思いますし、ミュンヘンは素晴らしい演奏会も多いので、耳と目からも沢山得ることがありました。

以前、先生から「とにかく階段を一段ずつ上がっていくしかない、クレーンで上まで上がろうと思ったって無理だよ」とアドバイスを頂いたことがあります。
本当にそのとおりで、芸大の学部から大学院、留学を通して成長という階段を一段、いや、登れそうで一段も上がれない日々を過ごしながらようやくここまできたと感じています。
もちろん、この先にも長く高い階段が待っているわけですが、留学を終えたからといって今までの歩みを休めると、せっかくの成長が下り階段に変貌してしまう可能性が多いにある音楽の世界、これからも階段の上を目指し、ピアノを通して自分にできる活動をやり続けることが目標です。この留学を経験したからこそ見えてくる景色や感性を、音楽を通して表現し、微力ながら社会に少しでも貢献したいと願っています。